米長邦雄は森田将棋の夢を見るか?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051014-00000016-yom-soci

 日本将棋連盟は14日、プロ棋士と女流タイトル保持者がコンピューター将棋ソフトと公の場で対局するのを禁止したと発表した。

 「将棋」のカテゴリを作りながら、長らくなにも書いてこなかったのは、あまりにも将棋界の話題を追えなくなっていたからだ。ただ、この件は興味深いので久々に用いる。なにせ、連盟が公式に対コンピュータ戦を禁じたというのだから、事は大きい。
 しかし、コンピュータも強くなったものだ。保護枠に入れられなかったノンタイトル女流棋士は、もはや負けて当然という扱いに違いない。確かに将棋の女流の層が厚いとは言えないが、それでもプロだ。これは、ファミコン森田将棋のころには考えられなかった話。いよいよ、プロの将棋指しの存在が危うくなっているのか……。
 しかし、瀬川昌司のプロ編入をイベントに仕立て上げた米長のすることだ。いずれ高性能コンピュータに棋士が太刀打ちできなくなるかもしれない。しかし、その前に「人間対機械」のマッチメイクで一発盛り上げよう、なんて考えやもしれぬ。そのために、公の対局は連盟が押さえる。そしていずれ、羽生善治が現代のジョン・ヘンリーとなって頭脳の掘削機械相手に悲愴な勝負を挑むのだ。それはもう、見物ですよ。
 まあもちろん、将棋指しが機械に勝てないようになると決め付けるのは失礼な話だ。ただ、機械には疲れもうっかりもない。そのアドバンテージは大きい。長ネクタイや空咳で威嚇してもへいちゃらで、効果のある盤外戦となると室温を上げて熱暴走を誘うくらいだ。ただ、なんだろう、本当に将棋で機械が人間に勝つためには、機械もゆらぎや曖昧さ、第一感を取り入れる必要があった、みたいなことにならんだろうか。機械もここせ期待の一手やおまじないを用いて、時にはポカや頓死に二歩もあり、そうでなければトッププロと渡り合えなかった、とか。
 うーん、いささか二流SF的で将棋指し贔屓の発想か。ただ、勝負の面白さと強さは別の所にあるというのは、あらゆる人間の為すところに見られること。この件について先崎学あたりがどんな発言をするのか、ちょっと気にしてみたいと思う。

翌々日追記:あるサイトに読売の指摘は誘導的とあった。
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20051015k0000e040024000c.html
http://www.asahi.com/national/update/1014/TKY200510140274.html
http://www.sankei.co.jp/news/051015/bun048.htm

 なるほど、他紙の記事を読んだらはっきりビジネスチャンスと書いてある。読売の記事は片手落ちだ。なぜ。読売が竜王戦のアマ枠にコンピュータ出そうとして断られた腹いせ、とかじゃないだろうけど。まあいいや、がんばれビジネス。