必要悪とはなにか?

 朝の通勤の道すがら、ヤクザの事務所の前を通ることがある。たまにドアが開いていることがある。私はかつて、その恐怖を詩にした(id:goldhead:20040930#p2)ことがある。そこでは黒いソファーと書いたが、私が本当に目にするのは山積みになったミネラルウォーターの箱である。
 これは災害時にヤクザが率先して救援活動にあたるというストーリーがバックにあると考えてよいだろう。かつての大震災のさい、国やボランティアよりも、ヤクザが組織的に救援活動をした、と。これはとても信じたくなる類の話、ストーリー、エピソードである。そういった意味では抜群である。
 だが、そうしたことを含めてヤクザを必要悪とするには違和感を覚える。悪を見くびりすぎていないか、必要を軽んじてはいないか。災害時の救援であればまず国なり自治体などがしっかりと対策を立てておき、身近な救援であれば町内会なり大きな企業なりが備蓄などしておき、一人一人もまた備えておけばよい。ヤクザの救援あるとないではあった方が足しになるが、彼らの日常の業務、反社会性、違法と釣り合うものではない。
 たとえば、丸腰の人々の中に一人だけ人殺しできる武器を持っている者がいる。これは悪い事態である。できれば皆丸腰の方が公平で正しい状態である。ところが、皆が丸腰というのは理想ではあるけれども、それは実現しがたいことである。ルール違反をして丸腰の人を脅かす者が出てくる。その時に、ルール違反の者を抑止するために武器を持っている者が必要になる。人を傷つける武器そのものは悪であるが、武器を持って悪人を制すものは必要である。それがすなわち警察であり軍隊であるといえよう。
 警察を必要悪と言うには抵抗があるやもしれぬ。しかし、人々の中にあって武器を持つというのは、それだけの重大事なのである。それゆえに善の中の善であり、正義の中の正義でなくてはならぬ。必要悪の側面を持つがゆえに特別の、尊い仕事であるといえる。私はその覚悟をもって仕事をする警察官を尊敬する
 必要悪が必要によって善に転じるならば、必要と不必要が善悪を規定しうるものなのだろうか。社会の必要がとりあえずの善であると。
 人間は生まれながらにして他の生物の命を害してのみ生きうる存在である。LIVE=EVIL。ところが、この人間という者は親の親の親からとにもかくにも生まれてきた。これは世界の必要あってとにもかくにも生まれてしまう。他の命を害する命は悪といえるが、なにものかのより大きな必要のもとに再生産される。人間自体が絶対的な必要悪である。人間のみが知性によってわかる。それゆえに善の中の善であり、正義の中の正義でなくてはならぬ。悪ゆえに善の自己矛盾存在。

……いや、違う、違うぞ。これではないな。朝歩きながら考えてたどり着いたのはこれではなかったな。発端は間違いない。だが、何か違う。午前中仕事して、昼飯にカップヌードルネギしお豚カルビ食ったら、閃いたなにかと自分が見なしたものが霧散してしまった。なんか違うな。違うよな。