バケツのなかの、音のさみしさよ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070529-00000302-yom-soci

 広島県大竹市立小学校の男性教諭(48)が、トイレに行きたいと訴えた3年の男子児童(8)に、同級生がいる教室内でバケツに用を足させていたことがわかった。

 さあ、これをどう見るか。この情報量だけではにわかにどんな話か決めつけにくい。単純に問題視されているように見れば、阿呆教師とかわいそうな生徒。しかし、学校の教室には教室それぞれの空気があり、教師にも生徒にもキャラがある。逆に、最大限に教師をかばう方から見れば、冗談好きの先生と、クラス一のお調子者とのボケ合戦。二人の間とクラスでは了解できる空気にあったが、保護者には伝わらず問題に、などなど。
 しかし、結果的に教室内排尿という、ある種の変態を喜ばせるような異常事態を出現させたというのは、やはり教師に大きな非があると言わざるを得ない(つーか、教室内放尿まで了解できる空気はありえないよな)。仮に、先のお調子者ボケ合戦であっても、まさか最初から下半身丸出しということもあるまい、放尿に入るまでに間があるはずだ。そこでツッコミを入れなければいけない。
 と、そっちの例の話ばかりするけれど、別にそっち説支持ではないので。どちらかというと、やはり悲惨な話じゃないかと思うな。小学校のころなんて、授業中トイレ我慢なんて当たり前の話で、学校のトイレでウンコするなんてのと似たようなもんだったように思う。先生が「お漏らしする方が恥ずかしいんだから、遠慮無く言えよ」と言われたら、余計できなくなる感じ。これまた学校やクラス、時代の空気があって、他のことは知らないが、俺はよく我慢して漏らさなかったし、みんなよく我慢する方だったと思う。で、そんな学校(かどうかはわからんが)で、給食準備中という拘束時間にトイレ行き願って、「そこでしなさい」と言われたらきっついだろう。いっそのこと、そこでして問題教師の烙印押してやろうか、みたいなことすら思い浮かぶかもしれないが、まあ、それも想像。
 というわけで、このところ世の中を騒がすニュースに比べれば小規模だが、なんとなく学校のころを思い出したり。このケースがどういう状況かはわからんが、小学生にとってはやっぱり小学校、その教室こそが悩める人生の場のほとんどであって(もちろん家庭こそ悩みの場であったり、あんまり悩んでなかったりとさまざまか)、ほんとうにつまらんことに、一喜一憂では済まない傷を負ったりするのであって、教師は実に取扱いに注意しなければいけないと思った。が、ガキはそもそも突拍子もなく、最近は親もなんか学校に対しておかしいという話もあって、教師ばかり責めても仕方ない場合もあると思った。だからといって、教師を甘やかしてもいけないだろうし、親を責めればいいというものでもない。尿はバケツに放たれてどこに流れ、貯まるのか。
人の生のつづくかぎり
耳よ。おぬしは聴くべし
バケツのなかの、音のさびしさを
 ……と、金子光晴なら言ったかどうかしらない。