秋山-三崎戦の無効試合裁定について

goldhead2008-01-23

三崎和雄vs.秋山成勲の一戦はノーコンテストに変更=やれんのか!

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/headlines/etc/20080122-00000013-spnavi-fight.html

 この抗議提出の結果が出た。へえ、そうなったか。……というわけで、俺は別にこの裁定に怒りや失望を感じなかった。意外なことに。そもそも秋山が抗議を提出したことについても、「言うのかね、本当に」というところだった。たとえ理があったとしても、この流れ、ヌルヌル以来の流れの中で、この道を選ぶのか、と。あえて負けを受け入れることによって、見直される道もあったのかもしれないんじゃないのか。利を求めるにしても、これは損なんじゃないのか、と。是非論ではなく、感情論だ。是非で言えば、どうにもならない糞経歴のある秋山だって命がけでリングに上がることはかわりない。ルールと裁定について抗議してはいけない理由はない(格闘技のルール厳密かだけを考えたら、あえて秋山の行動を評価すべきなのかもしれない。それが格闘技の魅力向上に繋がるかどうかは別なのだけれど)。
 そして、抗議提出を知ったときに書いたように、俺はルール論、技術論はわからん。そしてこの裁定は、ルールの中のことだ。ルール論議でそういう結論なら、それでもいいと思う。自分の中であの試合について、一人の観戦者として片が付いているからだ。あの蹴りが叩き込まれた瞬間に、勝負がついたからだ。いくら公式結果が無効試合になろうと、俺の中でのあの瞬間は覆らない。動揺はない。勝負に勝って試合に負けた、という言葉があるけれど、俺は試合より勝負を見たいのだし、俺は勝負を見たと思ったのだ。
 もしも100%ひっくり返るほどの理由、たとえば選手のドーピングなどがあったならば、話は別だ。俺が見届けた勝負の確信はゆらぐかもしれない。しかし、あの場でレフェリーが裁き、その場で抗議もなかった。問題にならなかった。その場でプロが即座に反則としなかった以上、せいぜい50%の理由にすぎない。それならば、俺は俺が見た勝ち負けを信じる。三崎の勝利を胸にしまう。
 ……が、当事者にとってみたら、それで片づけられるものではないだろう。俺は俺としていくら三崎の勝利だと言ったところで、それは無責任な傍観者の戲言に過ぎない。誰か、当事者のコメント……、そうだ、菊田早苗のブログを見ればよかったんだ。抗議提出時に気づけばよかった。

 おお、きちんとスルーせずに書いていてくれた。1月8日付の内容を見るに、なんとなく自分が考えていたことに一致していて、納得できる。しかし、俺は冗談半分で考えたような「ずるい選手」について考えているあたり、やはりリングの上では何がおこるかわからない、そんな相手が現実に出てきたら出てきたでどうするのだ、というリアリズムがある。
 しかし、それより問題に思えるのは、次の部分だ。

皆さんはルールミーティングを見たことないと思いますが、ああいう微妙な位置での反則、反則でないというものは必ず事前に時間を割いて説明があるものなのです。

 一方で、運営側はこう述べている。

ルール会議において選手及びセコンドには、『本イベントは、旧PRIDEルールとはまったく違う禁止行為のあるルールですので必ず気を付けてください、そして疑わしきは罰します』と通達していました。

 ここに大きな齟齬があるように思えてならない。運営側の方が無茶なことを言ってるように思えてならない。「まったく違う禁止行為がある」の禁止行為の具体例の説明無く、「気をつけろ」、「疑わしきは罰する」というのは、ルールと呼べるのかどうか。ある日突然「昨日までの法律が改正されましたので気をつけてください。そして疑わしきは罰します」といきなりお上に言われるようなことがあって、安心して暮らせるだろうか。
 もちろん、やれんのか!はそこまで無説明というほどひどくないだろう。あるいは、旧PRIDEルールについての認識の違い、そこをはっきり確認しなかったところが原因なのかもしれない。たぶん、まだまだ総合格闘技を巡るルールの問題には詰めるべきところがあるのだろう。菊田選手の言うように、今回のようなケースがこうなるということは、いくらかの魅了を削ぐものに違いないとは思うが……、しかし、俺のように地上波頼みの人間には、地上波基準の安全性との妥協を否定するわけにはいかない。
 あれ、なんかだんだん怒りや失望みたいなものが湧き出てきたな。地上波とネットだけが頼りのミーハーファンでも、格闘技にはなんとかなってほしいと思う。もっとマシになって、もっと魅力的になって、さすがに大晦日同時に三大会地上波放送とまでは望まない(というか、やられても困る)けれど、もっともっと観る機会が増えればいいと思うし、興行のことルールのこと、なんとかまとまって欲しいのだ。分裂してファーマニアク(マニアックになって身近でなくなるという意味の造語。今考えた)にはなってほしくない(戻ってほしくない……が、専門性と一般性の矛盾は存在する。盾と矛のどこで折り合いをつけるか? PRIDEはちょうどいいバランスにあったと思う。今さらながら惜しい)。こういう結果に失望する人もいるだろうし、格闘技から興味を失う人もいるだろう。それはよくわかる。しかし、それをなんとか、食い止めていく方向になってほしいのだ、怒りや失望を力にかえて(だからといって、秋山―三崎再戦が盛り上がりへの道かというと、それは違うような気がするけれど)。

追記:

 記者会見。何か違うだろうって、谷川貞治。ここではあくまで無効試合ノーコンテストについてのみ語るべきだったんじゃないのか。なぜ三崎のブッキングの話題を混ぜるのか。それはそれ、これはこれ、じゃあないのか。格闘興行における選手契約の問題などはわからんし、あるいは谷川の言うとおり三崎が「モラルに反する」のかもしらん。しかし、ここでまぜて言ってなんの得があるのだろうか。Yahoo!Japanのトップページの見出しなんか、こうなっちゃったんだぜ。

谷川氏「三崎はモラルに反す」

 Yahoo!のトピックス見出しが字数制限で変なことになるのは毎度のことだけど、これじゃあ誤解を招くってもんだ(……と、誤解するくらいの興味を持つ人がどれだけいるのかわからない。ヌルヌル問題に比べたら、あまり注目はないかもしれないが)。まあ、もちろんこれは見出しを打つ側の責任の方が重いけれど、どうだろうかこのタイミング。
 いや、もちろんこれもまた格闘技興行の裏の方の話、ビジネス上の駆け引き、ゆさぶりの類かもしらん。しかし、こうやって「二試合やるはずだった」なんてのをぶちまけられてしまうと、今回の裁定だって、興行上の判断、リングの外の政治的、経営的判断だったんじゃねえかと、さすがにそういう考えを排してきた俺だって思ってしまう。大連立する気はあるのか、と(というか、やれんのか!って一回限りじゃあなかったの? 詳しくは知らんけど)。
 というわけで、なんか谷川にはむかつかせられて(日本語あってるかいな?)しまった。だから、たとえば発言の重箱の隅をつついてみたくもなるってもんだ。

 僕らが修斗のチャンピオンを使う時は修斗にもお話をさせてもらっているし、リングスのチャンピオンを使う時もリングスの方に話をさせてもらっているし

 「チャンピオンを使う」て、なーんか嫌な表現。リスペクトがねえよ。ボクサーの元王者だって、そんな扱いなんだろ、お前の中じゃ。嫌になるな。でも、たとえば谷川がいなくなったところで、じゃあK-1や格闘技と地上波の折り合いつけてやっていける代役がいるのかどうか。俺はまったく知らないので、消えろ、とは言わないさ。今のところは、ね。

 菊田さんの日記更新されてた。なんだかわからんが、無条件に「かっこいい」と思えてしまうよ。