落合信者の俺が落合信者になりきれない理由

 中日落合博満監督(54)が22日、来年3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表候補に挙がった中日の選手全員が辞退したことについて「球団や現場の主導ではない。あくまでも辞退は各選手の意思」と反論した。落合監督はまた、理由を説明する必要はない、絶対に参加の義務はない、との主張もした。世界一連覇を狙う日本代表は、足並みがそろわない中で進まざるを得なくなった。

落合監督「みんな出ると思うのが間違い」 - 野球ニュース : nikkansports.com

 WBCをめぐる中日ドラゴンズ所属選手の辞退問題。その批難に反論する落合監督。これを読んでいて、俺は「前にも俺は落合監督について同じような気持ちをいだいたなあ」と思った。

現場としては(ウッズに)一切、処分はない。乱闘や暴力行為があるのも野球なんじゃないか

(中略)
そして、上の落合博満監督のコメント。他紙では「開き直り」とまで書かれている。果たしてこの態度はいかがなものだろう。「こどもの日」云々は偶然に過ぎないけれど、暴力行為は単なる犯罪だ。殴り合いが前提のボクシングのリングじゃない、野球をするためのスタジアムだぜ、と。

 しかし、その一方で落合は指揮官として優れていると思うのだ。現場の兵隊が不始末をしでかした。そこで世間やマスコミと一緒になって責めちゃいけない。批判の矢面に立とうが、あくまで選手を庇う。そうじゃなきゃ兵隊も戦争ができん。きっと逆の立場だったら、落合は暴力を振るった相手チームを徹底的に責めたんじゃなかろうか。そんな風に思う。

2005-05-06 - 関内関外日記(跡地)

 この三年まえの話だ。新聞サイトの元記事が消えているが、ウッズがヤクルト(元北海道)の藤井に暴力を振るった件だ。それに対して、徹底的に身内であるウッズを庇う落合だ。それに対する俺の感想だ。
 今回と共通する感想……それはすなわち、「落合のポジション自体に共感しないが、そのポジションにおける落合の働きは評価したい」というようなもの。乱闘肯定なんてたまったもんじゃないが、一方で、指揮官としての振る舞いはそれで正しいのだ、という。野球日本代表というものへの期待、世界野球への希望に水をぶっかけるような言動は非常に残念に思うが、一つの球団を率いる人間として、その言葉は正しいのだ、と。
 というわけで、俺は俺自身を落合信者と言いたいくらいだけれども、この点において最後の一線がある。俺は中日ファンではないし、たとえ中日ファンだとしても、WBCへの非協力的な態度は残念に思う。たとえば、ブラウン監督が、というと国の問題もあるので、山本監督が同じことを言ったら、「とっと消えろピーコ眼鏡!」などと言ったかもしれない(言動と関係なく言っていたような気もする)。
 無論、「組織的なものではなく、あくまで選手個々が決めた」という事情は考える必要がある。北京オリンピック星野仙一指揮下で中日選手に何が起こったかは見ている。それぞれの選手にもそれぞれの事情や考え方はある。ただ、そこに王監督の下でシーズン本塁打記録阻止の敬遠を行った若菜コーチ以下のような何かはないか、ということだ。あるいは、それが落合より上の方からの、口に出されぬ圧力といった勘ぐりもされかねない。
 いや、勘ぐりは必要ない。以下のようなコメントだ。これが水をぶっかけるようなコメントだ。

故障をした時の保障もないし、自分のことを考えるのは一番の権利。全部NPBがフォローしてくれるならいいけど理想論を掲げられて一番困るのは選手だ。

 無論、正論。ただ、ここで終わって欲しくない。だったら、野球において日本代表というものはどうあるべきか、どのような決まりが必要か、補償のルールが必要か、建設的な提言をしてもらいたい。たといメジャーリーグの私物、日本開催が読売の興行であろうとも、それを改革していく理想を語ってもらいたい。中日監督というリアリズムに徹するのではなく、日本野球、世界野球の明日を語ってもらいたい。俺は、落合ほどの野球人にそれを望むのは、無理筋とは思わない。
 などと、そのあたりを望むのはやっぱり筋違いというか、キャラではないのか? という気もしてくる。もしそのリアリズムのラインが落合オレ流を成り立たせているのだとすれば、俺はちょっと落合信者に成りきれない。