夜桜なんて撮れたもんじゃない

今週のお題「桜」
 はっきり言っておれは‘染井吉野’は好きじゃないんだ。……から書き始めて、カンヒザクラ系の色の濃さも苦手だとか、‘御衣黄’や‘鬱金’では衒いすぎてるとか、‘兼六園菊桜’とかじゃ盛り過ぎだろとかいって、やっぱり最後はヤマザクラだろ、と見せかけてオオシマザクラが好きだ、みたいな話を一時間かけて書いて消したりしたりしつつ年度末はつかれている。だいたいおれは春が好きじゃないし、年度末はだいたい4月、5月までひきずるから、サクラを見る余裕もないし、語れるほどたくさん見てはいない。ウメとバラに関してはそれなりに身元のはっきりしている手持ちの写真もあるが、サクラはそれほどでもない。

 そのわりには、夜桜とか撮れないかみたいな気にもなって、安い三脚と安い有線レリーズに安いレンズをつけた安いカメラでノコノコ歩いて外に出たりはしている。あるいは、古いミノルタ単焦点つけて明るいうちにウロウロしたりもしている。

 が、しかし、俺、どうも写真機やレンズにそれほど興味持てないし、写真ブロガーみたいな、そういうクラスタじゃあないな。というか、「かなまら祭り」を撮りにいって、まずだいいちカメラの操作がよくわからなかった。それになんというか、やっぱり写真芸術的なクオリティを求められないDTP作業対象として見てしまって、「ちっちゃく使うからいいでしょ」、「適当に補正してごまかしときます」みたいな風にしか写真を見られない。

 しかしまあ、通勤の小径車を除けば自転車も乗らなくなったからそれでもないし、競馬もやめてしまったからそこに分類されることもない。かといってアニオタというほど濃く見ていないし、なんというか、酒もタバコもジョギングも医者に止められているし、なんでもないな。まあ、悪くない。

 あ、しかしあれだ、おれが今おれを規定するとしたら、「プリントアウトするべき」から「プリントアウトしました」のメンヘル入門者だ。いや、鬱屈したパーソナリティー、根本は治らないと言われているし、それを積み重ねてきた蓄積というものもあるだろう。それで、いよいよもうあかんようになって、身体が動かなくなってしまった。

 ただ、処方された薬を飲むと動けるんだ。そんなに重病じゃない。これは悪くない。眠くなり過ぎたらカフェインを食えばいい。脳は調律できる。というか、調律できないと困る。十分な休養をとれたら、それで悪化はしない? そんな余裕はどこにあるんだ。

 はてなスターがおれに飯を食わせるのか? そもそもこの人間社会と折り合わないことははっきりとしている。能力が足りないのもはっきりしている。強迫性障害が強く出た希死念慮、自殺願望を通り越して、確信として「死ぬ」みたなところが固着して、こりゃ予後はよくないなって、そのあたりの実感は低い調べを奏でてやまない。

 まあ脳の調律次第でよろしくやるしかないだろうし、よろしくなくなったら、なにかしらよろしくなくなるだけだろう。

 自死か、路上か、刑務所か。

 自死か、路上か、刑務所か。

 自死か、路上か、刑務所か。

 自死か、路上か、刑務所か。

 自死か、路上か、刑務所か。