『生物化するコンピュータ』に目を通す

生物化するコンピュータ

生物化するコンピュータ

コンピュータは自らに課したデジタル電子の牢獄から抜け出すだろう。

コンピュータは自律を期待されるだろう。

連携は利益を増加させるだろう。

 ……と、「おわりに」で太字になっているところから引用する。正直、この本はおれにとってむつかしすぎた。むつかしいところは囲み記事になっていて、わかる人にはわかるだろうし、そこに価値があるのかもしれない。それ以外の部分は個々の科学者の紹介になっていて、「こういう天才科学者は親が同じような高学歴者か、そうでなければ技術者であることが多いのだなあ」というくらいの感想しか抱けない。おれはこの世にとって不要物であるところの高卒文系なのだった。「生物化するコンピュータ」というより、コンピュータとしての生物というか、コンピュータ化する生物というような、なんとも曖昧でわけのわからぬ感想しか抱けないのであった。あとは、火星探査ミッションのための研究が流れて掃除ロボットのルンバになったのか、という驚きがあるくらいのものである。
 そんなおれが興味を持ったところがある。スティーヴン・スキエナという科学者のエピソードである。

 一家は毎年休暇でフロリダに行き、決まってハイアライの試合を見にいった。ハイアライはスペインのバスク地方やフランス南東部を発祥とする、高速のボールが飛び交う競技だ。セスタと呼ばれる枝網細工のバスケットを使ってボールを石壁に投げつける。ボールの速さは時速300キロメートルに達する――スカッシュをもっとパワフルにしたような競技だ。子供だったスキエナにとって、ハイアライの大きな魅力は、父親からわずかばかりのお金をもらって、ゲームに賭けることだった。スキエナは賭け率の計算に興味を持った。ある年には、予想屋のアドバイスに従って勝ち、家族全員をディナーに連れていけるほど儲けた。

 ハイアライ、これである。須田鷹雄の書いたブログかコラムかに出てきて、「いったいどんなギャンブルか?」と不思議に思っていたものである。調べてもよくわからなかった……その頃は。今はWikipedia日本語版にも項目があり、スペルもわかるし動画だって見られる。

 フムン。
 いや、ほんと、『生物化するコンピュータ』、理系で頭のいい人は得るところが大きいかもしれない。しかし、おれのようなものにはハイアライへの興味がせいぜいといったところだ。読むのにむつかしい本ではないけれども、理系のことがさっぱりわからぬので、想像が至らない、数式は飛ぶ、そんなところだ。無益な読書と言われれればそうやもしれぬ。なにか一つ持って帰りたいところだが、どうもそうはいかない。自分の知能の限界を知る、むなしい話だ。そしてまた、おれは一生ハイアライを生で見ることもないだろう。とりわけ見たいとも思わないが……。