鍋の終わりに米を入れるとすごくおいしい(歴史的発見)

おれが冬にキムチ鍋ばかり食べていると思ったら大間違いだ。濃厚白湯鍋も食べる。白湯(さゆ)? 違う。パイタンだ。具体的にいえばこれである。

 

味の素の鍋キューブ。これである。スーパーで鍋の素を見かけるものは多いが、希釈しないスープ式ものなどが多く、一人暮らしの一食にはもったいない。が、このキューブはよい。八個入りで二百円台だ。

しかも、これを二つ使うと、本当に濃厚になる。一人前一個だが、おれは鍋以外を食べないし、野菜をたくさん入れるので二個だ。それで、物足りなさがない。濃厚に偽りなしといっていい。基本的にキムチ鍋を食べるが、ときどき濃厚白湯鍋にする。その証拠はおれのTwitterにある。

で、思った。「同じシリーズのキューブなら、同じように濃厚においしいのでは?」。そこで買ったのが、「鶏だしうま塩鍋」である。

 

 

こちらは、「白湯」に比べて濃厚ということはなかった。あっさりしている。鶏肉をつかっているので、いかにも鶏肉スープという感じではある。

が、ある日、おれはこれの食後に、パックご飯(レンジで加熱したもの)を入れることにした。その日はとてもつかれていたし、お腹も空いていたからだ。具は何も残っていない。やや透明なスープに、電子レンジで加熱したパックご飯を入れた。少し煮込んだ。

その写真が……ないのだけれど、これが美味い! 美味いのだ! おいしい! これはやばい! キューブの味と、おそらくは鶏肉や鶏の臓物や野菜やきのこ類から出ただしが混ざり合って、絶妙のおじやになっている。

これはやばいと思った。やばいと思ったおれは、これを制限することにした。そもそも太りたくないし、血糖値を気にして、夜に炭水化物を摂らないようにしてきたのだ。ここでめげてどうする。これはやばいがゆえに規制しなければならない。もちろん、「濃厚白湯」の方に米を入れてもおいしいだろう。米でなく、なにかの麺でもいいかもしれない。しかし、やばい。やばいゆえに自主規制する。そういうことにした。

とはいえ、完全の禁止ではない。一週間に一回くらいはいい、ということにした。なにか疲れて、お腹が空いているときは、米を入れる。米を使うには金がかかるが、一週間に一回くらいならいいだろう。

しかし、なんて罪深いことに気づいてしまったのか。人類はこうして堕落し、自らを滅ぼしていくのだ。