俺が人に英語を教えるなんてどういうことだろうか?

 土曜日の帰りだ。寿町を背に石川町の駅へ向かうシチュエーション。寿町方面から来たおっさんの肩に、俺の傘が触れてしまった。俺は「ごめんなさい」と頭を下げた。おっさんはとくに返事もせず、こちらに向かってどうという反応もしなかった。なにか精一杯の様子で、そういう人もたくさんいるあたりなので、特に気にしなかった。
 と、おっさんは後ろから小走りに来て、俺に話しかけた。わけのわからない言葉で。しかし、支離滅裂な内容ではなく。オー、イッツオールグリークトゥミー。そのオッサン――完全に日本人に見えた――は、(俺の耳には流暢に聞こえる)英語で話しかけて来たのだ。言っている意味は取れた。「私は中華街に行きたい。あなたは英語がしゃべれますか」と。おっさんが精一杯だったのは、日本語がまったくわからない中にいたからだったのだ。それで、傘が当たったことについて詫びを入れた、礼儀正しい俺に話しかけてみたのだろう。あまり話しかけたくない人もたくさんいるあたりのことなので。
 さて、どうしたものだろう。「ソーリー、アイキャント」と言ったような気がする。しかし、チャイナタウンに行きたいというのはわかった。ボディランゲージだ、と思った俺は中華街の方、道の先を指さして「ゴー、ストレート!」と言った。なんか命令してるみたいじゃん、と思った。通じたかな、と思った。「サンキュー」とか言われたかどうか。おっさんは早足で言ってしまった。俺は連れの人に「俺に話しかけなくてもね」などと言った。
 信号でおっさんにおいついてしまった。そのまま通り過ぎるのもなんなので、「この信号を渡って、あの鉄橋の下をくぐると、橋があって、その先の道の向こう側に門が見えるはずだ。とにかく道なりに行けばいい」と伝えたかった。が、わからないので、また指さして「オーケー?」とか言った。少し日本語が分からないものかと、「道なり」と言った。おっさんは大丈夫だ、というような返事をした。後ろから、今度はサンキューと言うのが聞こえた。
 ただ、俺は道なりを言うために、指を少し曲げてしまった。そのまま左に逸れていったらどうしよう? そんなことが気になって仕方なかった。しかし、中華街はでかいわりに、入口は多少迷うようで、日本人にも何度か聞かれたことがある。
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 さて、そんな俺が、なぜか来春大学受験をひかえた高校三年生に英語を教えるはめになったのが日曜日だ。俺は、英検準二級しかないですよ? それに、大学受験をしたのだって、もう十年も前だ。もう、まったくダメだった。俺の方が宿題を忘れた生徒みたいだった。が、できるだけそれを表に出さず、十年前の実績一本を盾に、なんとか押し通してみた。が、見透かされただろうな。あと、教えるのが女子高生だったら、俺もちゃんと予習したと思う。
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 でも、もうちょっと英語できたらいいな。あのおっさんにもっと親切にするために(というか、フォロー、ミー!とかいって、入口、石川町の駅の裏の方まで連れて行けばよかったか?)。世の中に英会話を習う人は少なくなく、中には具体的な目的のある人もいるだろうけど、そうでもない人も多いように思える。「話す機会のない英会話を習ってどうするの?」と俺は見てしまうのだけれども、英会話はむしろ機会の、コミュニケーションの機会のための手段、なのかな、とか。むしろ、日本人とはコミュニケーションしたくないけど、外国人と片言なら、なにか……という希望。そうだな、俺はそういうところがある(http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20070528#p6)。そして、いくらかそういう人もいるんじゃないかとか思ったりしている。