和田久太郎『獄窓から』を読む〜欠伸より湧き出でにたる一滴の涙よ頬に春を輝け〜

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 読んだのは黒色戦線社の「真正版」。改造社版やら労働運動社版やらあるらしいが、芥川龍之介の書評まで全部突っ込んだこれが決定版というところだろうか。ちなみに、芥川は東京日日新聞に好意的な書評を寄せた三ヶ月後くらいに自殺し、その翌年に和田久太郎も秋田刑務所で自殺した。まああまり関係ないけれども。で、和田は悼芥川君として次の句を残している。

地の下で蟲の鳴く音をきかるるか

 というわけで、和田久太郎ってだれだよ? という人は松下竜一の『久さん伝』でも近藤憲二の『一無政府主義者の回想』でも読みゃあいいんだ。

 で、本書『獄窓から』は短歌と俳句と親しい人達への手紙で構成されている。アナーキストとしての和田久太郎、テロリストとしての和田久太郎の一面は少ない。しかし一方で、久さんの飄逸さ、アナボル論争でボル側からも決して悪口が聞かれなかったという人がら、そんなものがよくにじみ出ている。おれは短歌も俳句もようわからぬが、そういう気がする。しかし、その洒脱さの一方で、「悲痛なる感激」を求める暗さ、死に場所を求める暗さも見える。センチメンタルさが見える。

 僕は、野獣的憎惡と、落魄無殘との泥濘たる帝都木賃宿の空氣の中に、悲痛なる感激の融合を覺える。その深川富川町に於ては、人夫、立ン坊、を主とする野獸的の猛惡な生活の裡に。その淺草涙橋に於ては、大道藝人、大道商人、吉原者、公園者を中心とする、無殘なる落魄と陰慘なる痴情との裡に。
 僕は又、はした博奕打と、泥溝の惡臭と、病毒糜爛の女とが渦卷く淫賣宿や抜け裏女郎屋の廻し部屋の中などの無道徳的な凄愴な空氣にも、堪らないほどに悲痛な、一種の執着をすら感じさされる。

 本人だって言ってる。「ね、諸君、僕はこんなにセンチメンタルな男なんだよ。あんまり買い被って貰ひますまい。」ってさ。
 和田の恋なども『久さん伝』などにあるが、まさにこういうところの女を相手とした凄惨なものだった。このあたり、アナキストにも古田や久坂のように童貞で死んだ(といわれる)ものから、三角だか四角関係で女に刺される大杉までさまざまとはいえよう。中濱鐵は後者かな。

 大さん(古田大次郎)は、全く珍しい人格者だ。君は僕に対して畏怖心のような感じを抱いたといふが、僕は又、古田君に接してゐると、常にさういふ氣持ちを感じた。自分の濁つた血が、あの清浄な血に畏れるんだな。中濱の様な奴でも、古田君には粛然として「古田さん貴君は」といはざるをえなかつたんだからな。僕は、尊敬はしたが、「よう、どうしたい」といふ風に親しめなかつた。

 とか書いてるね。でも、古田と中濱はそんな他人行儀の関係なわけもなく、このあたりはやはり属していたグループの違いといったところだろう。それでもまあ、ここまでの印象をあたえる「大さん」はよほどの人格者だったのだろう。古田の死刑判決に次の句を。

冷ややかな雨にいや澄む眼かも

 山崎今朝弥弁護士が「数年刑務所にいたら立派な僧侶になる」とか言ったのも本当だろう。むろん、それだけで収まる人間が大逆事件を起こしたりはしないわけだけれども。しかし、偶然かどうかわからないが、古田も和田も日本の運動家には牛のような粘り強さが必要だみたいなこと言ってるな。まあいいが。ところで、wikipedia:山崎今朝弥……米国伯爵を名乗るこの奇天烈な弁護士(近藤憲二によると戦後派「元米国伯爵」にしたらしい)は、「久さん漫評」なる文で、こんなことを書いている。

名が實を表はすものなら、久さんの久太ほど其の人に相応しい親しみ易い名はない。尤も久太であつたか久太郎であつたか知らないが、どうか久太であつてほしい、郎なんかは余計のものだ。

 と、むちゃくちゃである。この人に関してもいくらか読んでみたい。
 しかしなんだろうね、この久さんの印象というものは。なにか、気取ってみたり、ユーモラスなところを見せたりしつつも、なにかあけっぴろげに弱さをもさらけ出すようなところがあって、そこが強みといえば強みなのかもしれない。久さん、手紙にこんなことを書いている。

 貴女は自分の弱さを悲しんでゐられる。が、人間には皆それぞれ持つて生まれた天分があるものです。そして、その天分を最もよく発輝さす事が、人間は一等大切なのです。
 島崎藤村は言ひました。
 『弱いのが決して恥ではない。その弱さに徹し得ないのが恥なのだ』と。

して、俳句と短歌だが

 久さんは社会運動よりさきに俳句に打ち込み、河東碧梧桐に心酔していたわけだ。
 ……話はそれるが、河東碧梧桐というと、おれの中学、高校時代の国語の教師に河東碧梧桐の弟子がいた。授業中に話が脱線すると、学生時代にグラマンに追いかけられて機銃掃射されたとき、パイロットの赤ら顔が見えたという、それなりの歳の人だった。ある日の放課後、おれが友人数人と(今は一人の友人もいないが、いたときもあったのだ)だらだらおしゃべりしていると、なぜかおれに向かって一直線に歩んできて「魂を入れかえろ!」と言って去っていったことがあった。おれは呆気にとられたし、なんでおれだけに? というのは未だに謎だ。べつにとくに悪い友人というわけでもないし、あれは不思議だった。魂を入れ替えていたら、いまごろおれも一端の俳人にでもなっていたのだろうか。立派な廃人に近づきつつはあるけれども。
 閑話休題。それで、俳句や短歌のよしあしを論じるすべもないので、気になったのをいくつか抜き出しておく。

欠伸より湧き出でにたる一滴の涙よ頬に春を輝け

 運動場にて、とある。むろん獄の中の話だ。欠伸より、というのがそのままのようでもあり、強がりのようでもあり。そして公判のてにをはがひっちゃかめっちゃかに見えるといってはなんだけれども、そこのところがなにかしっくりこなくてしこりを残して印象深い。
 病臥吟二句

春の星うららに熱のよせくるや

 また、「堺氏より送られし本を開けば、秘めこめありし香水の一時に辺りに漂ひて、病床の嬉しさ言はん方なし」とあって。

思ひきや香水に酔ひ春の星

 獄の中に一時ただよう香水というのは、想像するだに素晴らしいように思える。まあ句というよりもそのやりとりのところになにか感じ入るところがある。五感のうちで、香りを送り込むというのはなんというかいい発想のように思える。たとえ一時のこととはいえ……。

 さる未見の友より、何か身につけし品をとて後ちの形見を望まる。人間、空弾のピストル一つ位は撃って見るべきものにこそ。苦笑。苦笑。

秋風や古褌も贈られず

 然し、とにかく、茶色の更紗にて張りし名刺入を贈ることにする。我が好みし露店の、憂き品物也。

虫の夜の露店を戀ひし我身かな

 と、まあ自らの暗殺失敗に触れたりもすると。

また誰か狂ひゆくらしくろがねの窓の吹雪のひと日ひと日を

 これなど獄窓からの歌という感じであり、久さん本人の行く末を思わせるところもある。

雪晴れて夜の青さに驚けり

 これは秋田で詠まれたもの。むろん、刑務所での眺めなんだろうけれど、雪の積もった夜の気配のようなものが率直に伝わってくる。むろん、秋田の雪も夜もおれは知らないが。

春雪や刺り傷の血の美しさ

 これも状況はわからんが、なにか雪の白さと血の赤さにはっとさせられるところがある。

 あとは、俳句論というか、芭蕉論というか、芭蕉とその弟子たちについて書かれたものなどあり、いくらか勉強になる。芭蕉の門下でも久さんが好んだのは惟然坊(畸人として有名でもあるらしい)らしい。同じシチュエーションを思い浮かべて、自分の読んだ句と惟然坊のを並べたりしている。

藻の花の陰から覗く蛙かな

かるの子や首さし出して浮藻草

 前者が自らのもので、後者が惟然坊。「こんな平凡な句であるにかかわらず、前句では味ひ得ないところの妙に捨て難いもの―童心から受ける一種の喜び―を感得するであらう」と評する。ぴょんと顔出した蛙に微笑みながら接するようなところが感じられるという。ふーむ、そういうものか。などと。
 あとはそうだ、芥川君が選んだ句でも紹介しておくか。「秋田の刑務所にも天下の一俳人のゐることを知った」とまで言っている。

のどの中へ薬塗るなり雲の峰
五月雨やあか重りする獄の本
麦飯の虫ふえにけり土用雲
しんかんとしたりやなのみのはねる音

 ……まあ、結局自殺してしまうのだけれども。獄が辛くて自殺したと思われるのは癪だから自殺はしない、なんて手紙に書いていたりしたのだけれども。ただ、久さん、もとよりある種の病気か、起伏の激しいところもあるし、あるいは私本禁止となれば怒り、絶望し、ということもあろう。大さんの『死の懺悔』を所望していたが、読めたのだろうか。辞世の句は以下のとおり。

もろもろの悩みも消ゆる雪の風

 



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