コースとルートの違い


 コースは既知的であり、決定的であり、場合によっては循環的である。
 ルートは未知的であり、未定的であり、場合によっては一方的である。
 「シェフの手捏ね車海老ハンバーグと天然フカヒレ九条ねぎを添えたスープのコース」というと、シェフの手捏ね車海老ハンバーグと天然フカヒレ九条ねぎを添えたスープが出てくると予想される(別の意味裏切られる場合もある)。「上家を警戒しつつこの四萬を処理できれば跳満コースだ」という場合も、考えうる役が(皮算用であれ)約束されたものであり、コースの完成形は既知のものとして考えてよい。
 ルートも、幾つもの道のなかでひとつの選択された道筋を表している点では変わらない。しかし、地井武男が刑事で「その線を探ってろ」という場合の「線」がルートだ。人脈の脈もルートだろう。ルートをたどった先にえられるもの、ことについては未定の感がある。複数人のヒロインを攻略するゲームをやっていて、分岐点で選ぶのは「咲良ルート」などであってコースとは言わない。ただし、格闘ゲームで決められたコンボを叩きこむ場合フルコースなどと言いはする。格闘ゲームは反復的であり、技とその組み合わせは既知である。アドベンチャー・ゲームはルートの先にどんな物語が待っているかは未知だ。麻雀にしても、先の「跳満コース」に至るまでの道筋はルートということになる。
 コースもルートもある道の上に重ねられたレイヤーである点では同じだ。道(実体があろうがなかろうが、それ自体も人為的なものだが)の上に人為的に重ねられたものがコースやルートだ。
 観光地の名所めぐりとなるとどうか。ぶらり食べ歩き観光コース。ぶらり食べ歩き観光ルート。まあどちらでもよいような感じはする。まあ、こういう場合はコースの方がよいだろう。しかし、山登りなどになると(険しければ険しいほど)ルートでなくてはおかしい。いずれ富士山が超観光地化の末に、須走ルートでなく須走コースと呼ばれる日がくるやもしれぬ。
 ところで、「マイ・ウェイ」、「ボーン・ディス・ウェイ」。ウェイは先に述べたレイヤーの下にある道そのもの、道に近いものにあたるかもしれない。ルートやコースに比べて、さらに決定的、宿命的、確固たるものという印象はある。
 時間切れだ。とくに辞書をひくでもなく考えたことなので、このエントリーは誰かの役に立つものではない。ところで、おれは人生の道をいくらか踏み外した人間だが、それはコースを外れたのかルートを外れたのか、道を踏み外したのか。