今日、十一月三日、なんらかの休みの日、おれはひどかった。目がさめたのは午後一時頃だったし、一度トイレに行ってまた戻ってまた一時間くらい寝た。そのあと、ベッドで携帯端末をいじってまた一時間くらい経ったかもしれない。
このままではいけないと、無理やりシャワーを浴びて、無理やりカップ焼きそばを食べた。栄養ドリンクも飲んだ。それでも身体が普通に動かないので、あとは座椅子に座りっぱなしでテレビで広島―巨人の消化試合や、地方競馬の祭典を見たりした(馬券も買ったりしたがひどい成績だった)。
この、もう、身体が動かないというこの状況、これを、どうあなたに説明できるだろうか。「それでも競馬欄を見て、予想して、パソコンや携帯端末をいじって馬券買ったりできるんだろう?」と言われたら、そうだ。限界にまで達したら、のろのろ立ち上がって、トイレに行くこともできる。
でも、もう、身体が動かないのだ。最小限の動きしかできないし、立ち上がるのもゆっくりだし、歩くのものそりのそりだ。冗談でゆっくり動いているわけでもない。楽だからずっと座っているわけでもない。とにかく動けないのだ。
わからないだろう?
おれもどう言っていいかわからない。これが、たとえばパーキンソン病(おれの父の父はおれが物心ついたときにはかなり進行したパーキンソン病であって、おれは老人というものはああいうふうにしか動けなくなるものだと思った)であれば、わかりやすい。体温のように、客観的な数字が出るのならまだわかるかもしれない(とはいえ、今日のおれは三十七度前後の微熱を行き来したのだが。というか、今日だけではなく、ずっと微熱が続いている)。あるいは、全身が真っ青になるとか、真っ赤に腫れ上がるとか、なんでもいいが、客観的に見えるようなものではない。
これがつらい。
動きたくても動けない。立ち上がって簡単な料理することもできるが、それでもたいへんな苦労がある。もっとひどい倦怠感に襲われたときは、いくら空腹になろうとも、カップ麺ひとつ作れない。冗談でやってるわけじゃない。だれも見ていない独居中年、だれにアピールするためにやってるわけでもない。ともかく、動けない。動いたとしてもスローモーションだ。けど、冗談でやってるわけでも、アピールするために演じてるわけでもないんだ。
これ、たとえば、精神科医にはわかってもらえるのだろうか? あ、そんなこと前に書いたことがある。
そして、さらに言えば、医師でもない人間、会社の人間にこれが伝わるかということだ。頭痛でもなければ熱発でもない、くしゃみや咳が止まらないわけでもない。わかってもらっているか、わかってもらっているのか? 疑心暗鬼。たんなるサボり病に思われているのかもしれない。そういう思いは消えない。
こんな人間というのは、本当に役に立たない。今すぐにでも死んでしまった方がいいように思える。とはいえ、自死を選んだとしても、それを実行するのが億劫だ。動けない。ただ、いま、目の前に、チオビタ・ドリンクと同じようなサイズの瓶があって、これを飲めば楽に死ねますよ、というような状況にあったら、ゆっくりと手を動かして、ゴクリと飲んでしまう可能性は低くない。
もう疲れたし、なにもできない。うんざりする。上がり目もない。頭打ちだ。もう、これまでだ。ここらでよか。まったく、そんなことを言い続けて……。
あ、上の写真はとくに関係のない「ホヤのロケット」。思えばホヤというものを食べたことがないと思い、スーパーで買って見た。洗い方が足りないのか、しょっぱかった。少し磯臭いだけであって、どうにも魅力がわからない。ただ、ホヤというものは鮮度によって大きく違うものであって、名産地で鮮度のいいものを食べたら、まったくの別物なのかもしれない。