とこでニッサって誰だ? 『植物のあっぱれな生き方 生を全うする驚異のしくみ』(田中修)を読む

 こないだ、はてな匿名ダイアリーで「植物が怖い」という人がいた。

自分は植物恐怖症です。というより、お前らなんで植物怖くないの??

アイツラは生きている。

大量の花が同じ場所で何日も何ヶ月もずっと空を見ているんだ。

何を考えているのかわからない。

何もしてないのかと思いきや、気づかないうちに姿かたちが変わっていく。

生きている。

怖い。

世の中にはたぶん、物の数だけ恐怖症が存在すると思うが、植物恐怖症という人もいるのだ。

一方で、おれはというと植物が好きな方だ。

が、厳密に言えば、切り花、花束はあまり好きじゃない。あれはもう首(花だから別の器官かもしれない)を切られて、死んでいるじゃないか。花瓶にささった花など見ると、なにかいたたまれない気持ちになる。その意味では、ちょっとおれも植物恐怖症の人に近いところがあるかもしれない。

 

まあともかく、一応おれは植物が好きな方だ。だからたまに植物の本を読んだりもする。

著者は、「こども科学電話相談室」に出たりするらしい、植物の先生というか博士というか大学教授の方である。

で、冒頭に書かれていることに「おっ」と思った。

 植物たちの生き方の特徴は、「動きまわらない」ことです。そのため、動物と植物を比較して、「動物は動きまわることができるけれども、植物は動きまわることができない」といわれます。「動きまわることができる動物の方が、動きまわることのできない植物たちよりも、生き物としてすぐれている」との思いが潜んでいそうな表現です。

 しかし、植物たちは「自分は、動きまわることができない」と思っていないでしょう。植物たちは「自分は『動きまわることができない」のではなく、『動きまわる必要がない』のだ」と思っているはずです。p.16

なるほど、動物は食べ物を探しに動かなければならない。生殖の相手を求めてうろうろしなくてはならない。一方で、植物は自分で栄養分をつくり、与えられた環境でただただ生長し、生存するだけだ。

そりゃまあ、人間の価値観で言えば、行きたいところに行ける(いまのところ行ける場所は限られているけれど)というのは捨てがたいことだ。しかし、じっとして生きていられるにこしたことはないというと、それもそうかな、などと思ってしまう。面白い見方だと思った。

 

以下、植物のいろいろなことについて。

●イネの中干し

 イネの根は水が不足するような乾燥地では、水を求めて強く張りめぐらせる力をもっています。でも、水が容易に得られる水田では、根を張りめぐらせる必要がありません。ところが、そのまま水田で育って秋を迎えたら、強い根を張りめぐらせていないイネは、秋に実る垂れ下がるほどの重い稲穂を支えることはできません。

 そこで、イネの穂が出る前に、水田の水は抜かれ、田んぼの表面の土が乾燥してひび割れするくらいに乾かされます。この過程は「中干し」とよばれます。こうすれば、今まで水をいっぱいもらって、根を強く張らずに育っていたイネは、びっくりします。土が割れるほど乾燥させられ、危機を感じてびっくりして、急いで水を求めて多くの根を張りめぐらせます。

そんな過程はしらなかった。植物によっては、水に恵まれていればいいという話ではない。いや、イネの収穫は人間の事情だけど。長雨で不作などというのは、中干しがうまくいかなかった、なんてこともあるんだろうか。農業は繊細なものだ。

 

●分相応に生きる

植物はあたえられた環境のなかで「分相応」に生きる。だから、植木鉢を突き破ってでかくなることはあまりない。でも、諸要素が揃ったら普通は1〜2mの観葉植物のホンコンカポックが12mまで伸びたとかそんな話になる。

問題になるのはホテイアオイみたいなやつで、家庭の水槽では小さいし、増えもしない。しかし、広くて栄養分に富んだ川や沼では爆発的に増えてしまう。

あとは、タンポポやオオバコなど。これも肥料をたっぷり与えたり、広いスペースが与えられると、普段見られるものよりはるかに大きく生長するという。ドーピングタンポポとか育ててみたい。

 

ヒガンバナ

別名マンジュシャゲ、くらいは知っていたが「ハミズハナミズ」という呼び名もあるという。そうだ、君らヒガンバナの葉のことを考えたことがあるか? おれは思い浮かばなかった。花は葉を見ず、葉は花を見ず。葉は冬につく。そこで栄養をつくり、蓄え、球根を育てる。この球根は毒持ちだけど、毒抜きして救荒植物になるのは知られた話。

 

●雌雄異熟と閉鎖花

植物もできるだけ近親婚を避ける。ダーウィン進化的に正確に言えば、近親婚を避けて遺伝の多様性を持つことができた種が淘汰されないで残ってきた、ということになるだろうか。

まあともかく、その仕組みの一つに、雌雄異熟というのがある。「一つの花の中にあるメシベ(雌)とオシベ(雄)が異なる時期に成熟する」のだ。小学校とかで習う話かもしらんが、「雌雄異株は知っていても、雌雄異熟は知らんかったな」という。モクレン、コブシ、タイサンボク(要するにマグノリアの花たちか?)、あるいはサルビア、オオバコなんかがそうらしい。

一方で、閉鎖花をつけることで一種の保険をかける植物もいる。スミレやホトケノザ

 

●世界三大紅葉樹

紅葉のシステムの話の中でちょっと触れられていたこれ。

「世界の三大紅葉樹は「ニシキギ」、「スズランノキ」、「ニッサ」です。p.229

なんだ世界の三大紅葉樹って。というか、ニッサって君はだれ?

Nyssa sylvatica - Wikipedia

これか?

Nyssa sinensis - Wikipedia

これのどちらかだろう。

しかし、植えられているのどころか、名前も知らなかった。調べてみると、建設物価調査会/日本植木協会の『新樹種ガイドブック』の旧版にはNyssa sylvaticaの項目があり、N. sinensisの写真もある。が、『改訂版 新樹種ガイドブック』には掲載されていない。

 

 

ということで、日本への導入も考えられたが、あんまり定着しなかったようだ。日本の気候に合わなかったのか、あるいは、日本にはもとよりカエデなど美しく紅葉する植物が多く、需要がなかったのか。

というか、ニシキギくんはそんなに偉かったのか。それこそハウチワカエデあたりに取って代わられたりしないのか。

そもそも世界の三大紅葉樹ってのはだれが決めたのか。日本語情報も見つからないし、上の英語版Wikipediaニッサでも触れられていない。不思議なものだ。

ちなみに、Wikipediaにはこんな項目がある。

世界三大一覧 - Wikipedia

植物では「世界の3大造園美樹」なんてのもあって、これが略されて「世界三大美木」なんて言われたりするけれど、アロウカリア アロウカーナ(Araucaria araucana)の説明くらいでしか見ないような。これもまただれがどこで決めたのか謎である。そしてアロウカリアも日本ではほとんど見かけない。

 

……と、なにか「あっぱれな生き方」から話が逸れた。「あっぱれな話」が読みたければ、本書をあたられたい。あっぱれな植物の頑張りが読めるはずだ。もちろん、「結果的にそういう性質をもったやつが残った」という話もあるわけだが(当然著者もわかって書いているのだろうけど)、個々の個体は頑張っている。どこかで読んだか忘れたが、生長し、生殖することをもって、植物に意思があるといってもいいのではないか、という意見もある。そんなところだ。

あ、「あっぱれ」というのはあのテレビにおける張本勲(通算3085安打)のセリフなので、張本勲(通算3085安打)があまり好きでないという人は、その部分だけ薄目で読んでください。

 

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