寄稿いたしました。
よろしければお読みください。
よろしくお願いいたします。
……というわけで、つい最近でも「埼玉で一番有名なヤンキー」についての中学生の争いに顔を出して逮捕されたり、飲み屋で外国人に喧嘩売ったら相手がコカイン決めたペルー人で親分が殺されたり、ETCが使えなくて高速道路に乗れなくなっているヤクザの話。
このあたりのリアルなヤクザの話というと、それこそドキュメンタリーである『ヤクザと憲法』なんかでも描かれているし、そういう路線寄りの映画もいくつかある。以前見た面白いツイートではこんなものがある。
フィクションにケチつけるの野暮すぎだろ。俺がリアルにヤクザ映画の監修したら、早起きして、みんなで公園をウオーキングし、コンビニ弁当買って、事務局に領収書提出して、金主と晩飯食って、酒も煙草もやらず、お茶汲みはおじいちゃんで、抗争でもヒットマンがおらず銃撃戦もないぞ。誰が観るんだ。
— 鈴木智彦/SUZUKI TOMOHIKO (@yonakiishi) January 26, 2022
誰が見るっておれは見るような気がする。
というわけで、ヤクザの恐怖というものは、今なおあるには違わないが、確実に弱体化しているとはいえる。そして、よくいわれる「ヤクザがいなくなったら変わりに……」の方が、ずっと公権力と法やなにかを駆使してやりあってきたヤクザに比べたら取り締まりも幾分は簡単なのではないか。いや、それでも半グレは……。わからんが。
というわけで、おれはこのまま暴力団弱体化、消滅でよいと思っている。とはいえ、そんなヤクザの思い出のなかで、一番恐怖したことをメモしておこう。あ、人生に影響を与えた警察官とつるんでいるヤクザに実家の処分を頼んだ話は上の記事を読んでください。
て、それは、えーと、たぶん前にも書いたな。また書こう。おれが高校生か大学生のころだった。横浜から大船に向けて東海道線か横須賀線に乗っていた。だから、戸塚か東戸塚の駅に電車が滑り込んだときのことだろう。まだ完全に電車がとまりきる前から、「なんか怖い。すごく怖い」という思いに囚われた。まだ、ドアも空いていないのに。
ドアが空いた。一人の若者が入ってきた。上下ラフなジャージみたいな格好だ。車内の人たちもなにかを感じたのか、そのまわりに空間ができた。携帯電話で話している。内容はといえば「組長とかもやさしくて」とか「小遣いもらってる」とか「高級車乗り回してる」とか、なりたてヤクザが友人相手にふかしているような内容だった。
が、その内容はどうでもいい。内容に怯えたわけではない。なにかそいつか発せられるオーラのようなものに、完全に負けたのである。生き物として、殺されてしまう、という恐怖。一刻も早く、この場から逃げたい、そんな思い。
再度言うが、彼は携帯で気軽にヤクザトークしているだけである。内容は「こいつはヤクザだな」というものにすぎない。べつに周りにガンを飛ばしたりもしていない。すごい大声で威嚇しているわけでもない。内容はともかく、普通に話しているだけだ。
おれはもう、とことん怖くなって、「ヤクザはこんなに怖いものなのか」と思ったものだった。二十年以上経っても、はっきりと覚えている。
その後、横浜に引っ越して、ヤクザの事務所の前で大量のヤクザの前を通り過ぎるようになってたりもした。でも、同じような怖さは感じなかった。そりゃあちょっとは緊張する。怖くないといえば嘘だ。でも、あのときの圧倒的な怖さは二度と感じたことがない。
あれは、いったいなんだったのだろうか? なにやら、ヤクザの暴力幻想を助長しそうな話なので、こっちにこっそり書いておく。
以上。
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