参院選で夜ふかしした翌日の昼、みなとみらいのブルク13へ。『鬼滅』はアニメで追っている。原作は読んでいない。前作の映画も劇場で観た。最後までアニメ(映画)で追うつもり。しかし、いつ終わるのだろうかよくわからない。いずれにせよ、今作も映画館で観ようと思っていて、いつが都合いいかと考えたら、競馬のない月曜祝日がちょうどよかった。
ちょうどいいかな、と思ったのは前日の昼前くらいで、キネパスを立ち上げて予約してみようとすると、もうほとんど席が残っていない。やはり大人気だ。時間的によさそうなドルビーアトモスのシアターの、前方通路前の端っこの席が一つ空いていたのでそこにした。
長い映画だとはなんとなく知っていた。しかし、その長さを感じないくらいの興奮しっぱなしだった……というと嘘になる。かといってダレた感じがあったというと、それも違う。どうなんだよ。いや、まあ、やっぱり上映時間なりの長さは感じた。
それにやはりなんというのだろうか、連載漫画原作で長く続いてきた作品の、最後の方の三部作、自分の中で「ストーリーを追う」モードに入っていたのは否めない。戦闘、回想、戦闘、回想、そうそう『鬼滅』って回想よなとか思ってしまった。
そんでも、ぐっときたシーンがなかったかというと、そんなことはない。うるっとなってしまって、おっさんこのまま一人で泣きながら映画館出ることになったらどうしようとか思った。何度か思った。でも、一瞬ぐさっとくるけど、次々と展開していくので、涙流れる暇もないというか、まあそういう感じの涙腺の刺激のされ方。あくまでおれの感じ方なので、人によってはずっと泣いているかもしれない。
とはいえ、泣き要素よりも何だね、あれ、無限城の映像ね。これはすげえなあと思って。どんだけ金と時間かかってるんだろうとか、ちょっとそんなことも考えてしまうやね。
で、無限城要素よりも何だね、あれ、戦闘シーンね。これもすげえなあと思って。義勇と猗窩座(「ぎゆう」とか「あかざ」で変換出てくれるの楽でいいね)の戦いとか、すごかったよね。
そういえば、おれは原作未読なので胡蝶さんがねえ、知らんかったんよな。そうか、『鬼滅』はこうだったか。あ、なんかフジテレビで連夜やっていた振り返り放送は観てないです。でもなんだろうね、やっぱり筋肉は正義というか、身体能力が物を言う部分もあるよってのは、この手のバトル漫画ではちょっと珍しいのかな。
しかし、そんな領域ではない感じになっていた竈門炭治郎くんなのだが、しかしなんだね、ああいう敵意とか闘志とかを消し去った境地みたいなのは、禅の国の日本人が好きなやつよな。でも、「おまえの首を切る!」とか言っちゃうところがいいよね。
うーん。なんだね。あとはなんだね。善逸の兄弟子との戦いとかもあったね。やっぱりこうなんだ、この一作をして一作の映画として見たり語ったりするのは難しいというか、やっぱり長いストーリーの一部であって、一つ猗窩座戦という山があったとしても、どうしても「一部なんだよな」という気がしてしまう。まあ、そうなんだから仕方ねえし、このすごい映像と音を映画館で観られるんだから文句はない。
ああ、そうよ、音よ。ドルビーアトモスよ。たぶん初めてなんだけど、なんか音すごいね。最初の物静かなお墓のシーンとかも、なんか風の音みたいなのがしてて、お、これはという感じで。ああ、でも、すごい正直なこというとね、音がやや大きすぎる感じがして、長時間観ていると少し疲れるというか、逆に現実に戻されるというか、ああ、やっぱりちょっと疲れたかもしれない。ただ、主題歌は「無限列車編」に比べると印象が薄かったかな。疲れていたのかもしれない。
というわけで、疲れた、疲れたばかり書いてしまったが、よかったですよ。おれが『鬼滅の刃』に求めているのはこういうものであって、そういうもの満載で殴りかかってきたみたいな映像作品だったですよ。うん、行く価値はあった。これから行く人に伝えたいのは、やはり長めの作品なので、途中お手洗いに向かって走っていく人がけっこういたよ、ということでしょうか。あ、お客さんは比較的年齢高くて、自分の後ろは確実におっさんのおれより十歳ぐらい年上かと思われるご婦人たちでした。子供はあんまりいなかった。そんなところ。
しかしなんだろうね、あんなに炭治郎と義勇がボロボロになって、このあとラスボスまでたどり着くのかね? なんか超回復とかするのかね? いつになるかわからないけれど、続きも楽しみにしている。
以上。
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