アラブ最強馬、スイグン引退

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 引退はケガや病気に起因するものではなく、オーナーサイドの意向によるものという。同競馬場がサラブレッドに転換するなかで、最強馬のプライドを尊重したものと思われる。

 さすがに慶応二年の根岸競馬場開設に立ち会った人はいないだろうから、今、競馬をする人には誰しも間に合ったものと間に合わなかったものがある。俺が遠く間に合わなかったのは伝説的なアラブの英雄たちの時代だ。セイユウやイナリトウザイ、ローゼンホーマ……かろうじて書物を通してその名をしるばかりだ。
 しかし、わずかながらのアラブ競馬にはかろうじて間に合った。川崎競馬に行けば三歳馬と八歳馬(旧年齢)が同じレースを走らされているのを見たし、中央ではシゲルホームランムーンリットガール。名前だけなら地方のニホンカイユーノス。まあ、一方でよく間に合ったと言えるかもしれない。寺山修司あたりを読んでも「アラブは遠くなりにけり」と、アラブの衰退が描かれているくらいだから。
 というわけで、今後さらにアラブは衰退していく。これは何か惜しいことのように思える。中央/地方の垣根が崩れつつある今、真の外なる怪物的存在はアラブくらいにしか求められなくなっていたのではないか。しかし、昔と比べて埋まりがたいレベルの差があるのも事実だろう。……そしてここで正直に告白しておくと、俺は俺の心の中に確固として存在する感情に気づいた。「競馬はジェネラルスタッドブックに遡れてナンボや」という純血思想だ。俺はアラブやサラ系(こちらはいい意味で消滅するが)に何らかの感傷を抱く(ああ、そもそもこのメモはスイグンのプライドに胸打たれたから書き始めたはずだった)一方で、競馬の大前提としての血統に重きを置くところがある。何も良血主義ではない、サラブがサラブであるその偉大なる血のつながりに何か感じ入るところがあるということだろう。もちろん、動物としてのウマは、牛みたいな馬(トリビアの泉で紹介されてたやつ)だってなんだって大好きだ。