OVAと三期決定! ストライクウィッチーズ「みんながいたからデキること!bis」行ってきた

承前(でもねえか):またすばらしいストライクウィッチーズのすばらしいイベントに当選したので、またすばらしいイベントに参加できるかと思うとぼくの翼端灯も点滅しっぱなしです - 関内関外日記(跡地)

 業のなせることといえばそれまでであった。簡単に言えば自業自得である。はじめはそんなつもりはなかったのである。500番台近くの入場で、館内ロッカーを確保したのち用を足し、後ろのほうでのんびり見るつもりだったのだ。が、ふと会場に入ってみると、まだ前方が薄かったように見えたのだ。そのまま前方の方にツツツと進んでみてステージの見え具合がどんなものかと思ったが遅かった。気づけば後ろにも退けぬ横にも動けぬ、いやそこまでぎゅうぎゅうではないにせよ、ある程度人をかき分けねばならぬ情況に追いやられていたのだった。おれがついつい前方に目をやってしまったのは、おれの下らぬ欲である。目もあまりよくないし、近くで見たい。背も高くないし、後ろでまったく見えないのつまらない、そんなところである。そんなところが、おれを死地へ追いやったといっていい。いや、死地とは言葉が悪い。こういうライブの前方がどのようなものであるか、bis抜きで多少は感触を知ってるはずじゃあないか。

 あまり詳しくはないが、サッカー観戦初心者がいきなりゴール裏は辛いとか、そういうレベルの話じゃあないか。おれは人生二度目のアニメライブイベントで(も)、叫び、飛び跳ねる猛りに猛った若人、いや、年齢は関係ないやもしれぬ、ともかく猛者の中に紛れ込んでしまう羽目になったのだった。昼間のボールトンポールデファイアント(第141飛行中隊)のようなか弱きものである。最後の方になると、生で歌は聴きたいが、ここでは勘弁してほしいというような心持ちにすらなったのである。さらには、「おれはこんなところで何をしているのか」と冷静になってしまったりもした。むろん、演者にも周囲の者にも罪はない。おれの小さい欲がなさしめた失敗であった。
 と、そんなことはどうでもよろしい。まったく出ないCD、一月と変わらぬ出演者。となると、「重大発表」の中身が問題なのだった。この演出は見事だった。手のひらの上で踊らされたようなものだった。スクリーンに映る「機密事項」で自然発生のブーイング、「翼端灯」を交差しての×印、一転しての発表。どこまでが織り込み済みだったかどうか知らぬが。とりあえず動くウィッチが見られるということで「OVA」で安堵したのは確か。そしてさらにテレビ放送、すなわち3期決定ときたら、万歳三唱である。まあ、さすがに「重大発表アリ」で客引きをしたのだから、これくらいあってもいいだろう、というのは傲慢か。まあ最悪「パチンコ化決定」などという可能性すら考えていたのだから、素直に万歳をしておこう。
 ただ、時期がわからぬ。最後の最後のステージがはけた後の、二階関係者席からの肉声挨拶で「本読み」の段階にあると言っておった。アニメ制作で「本読み」がどの程度の具体性、進行具合かおれは無知にしてしらぬが、進んでおるのだと信じよう。ステージ上のトークではないが、あと10年だって戦ってくれ。いや、501の彼女らにそんなに長く戦ってくれというのは酷か。あ、現実と作品内の区別がついていない。でも、福圓美里さんも名塚佳織さんも楽しんでいたようではないか、この異常なアニメが続いてきたこと、これからも続きそうなこと、これだけのファンが集まり、会場のテンションが凄まじきこと……。まあ、他のアニメのイベントは知らぬが。
 さあ、OVAの中身を予想しようか、三期の中身を予想しようか、予想したところで無駄なところか。おれの希望は何度か書いたが、ともかく501の物語を終わらせることが第一と思う。お台場をうろついていたらガンダムを見かけたので言うが、シャアとアムロの決着が必要なのだ。この比喩に自信はないが。カールスラントはじめ欧州の解放。アジアの処置はどうするのか知らぬが、これを終わらせぬことにはというところである。
 そこで、501だけではというのであれば、502、503、504、505、506……とオールスターで協力していけばよいではないか。すばらしいハンナ・ユスティーナ・マルセイユが出てきた回が全部! みたいなのはどうか。それが部隊ごとだ。わりと王道のような気もするのだが、まあ果たして散漫になるやもしれず、欧州解放となってしまってはあと10年戦えるコンテンツを一気になどという盤外のことも出てこようか。それに、単に作るのが大変そうというのはある。まあ、おれにはよくわからぬ。そもそもOVAの舞台(部隊?)も現在は公表されておらん。OVAで501にけりをつけることも……? いや、おれが考えても仕方ない。おれは内心で「すばらしいストライクウィッチーズだけは別や!」の思いを抱き、金を落とすだけのことである。
 というわけで、コミケなど人も多く作法もわからぬところに行けなかったおれは、島田フミカネセットとタペストリーを買い求めた。値段は聞くな。おれが聞きたくない。はっきりいって、個人的な財政難、生活苦の中にあって、なにをしているのかという話だ。本当に、なにをしているのだろうか。

 なにをしているのだろうかといえば、これら画集も予約済みである。もっと金がなくて困窮しているなか、キャンセルし忘れていたこれらが送られてくるかもしれないのである。おれはそこに暗い喜びを感じないでもない。あるいは、今度こそ後ろのほうでまったりと楽しむがために、すばらしいストライクウィッチーズのイベントにまた出向くかもしれない。家賃を滞納してでも、の覚悟でだ。おれにそれができるのか? わかりはせぬ。やりかねないところもある。ただ、また会場での小さな欲で死地に赴くような予感もあって、それもわからぬ。わからぬことだらけだ。
 わからぬといえば、二度目に過ぎぬがこういったイベントの物販のことである。前回は昼の部と夜の部もあり大混乱のうえ、販売数制限がなく、イベントを楽しむのに必須に近い「翼端灯」すら売り切れてしまったが、今回はなにか余裕があったようだった。おれは物品販売の最後尾近くだったが、そこまでで売り切れたのはイベント限定復刻のフォトセットのみであった。おれの求めたコミケの再販グッズなどは、コミケで手に入れた人が多いのか買うことができた。終演後にもグッズ販売は続いており、シーツや抱きまくらカバーがどうなのかはわからぬが、このあたりの調整は主催者も悩むところなのやもしれぬ。
 まあそんなことはよろしい。ともかく、今日の出演者やその他キャスト、今までの、そしてこれからのすべての作り手に感謝せねばならない。さらに、すべてのすばらしいストライクウィッチーズ・ファンに幸あれと。おれのようなものは、しばらくはおるかもしれぬが、10年は戦えない。財力と体力ある若人よ、あとは任せた。